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Charles Grosbois

シャルル・グロボワ

 

 シャルル・グロボワ(Charles, Louis Jean, Grosbois  1893年ブールジュ生〜1972年サン・タマン没、中国名、高博愛)は上海フランス租界の教育総監、音楽評論家である。

上海発行の仏語新聞、ジュルナル・ド・シャンハイLe Journal de Shanghaiに(1927-1945)に長年、音楽評論を書き続け、300をこえる評論は租界で鳴り響いた音楽がどのようなものであったのかを詳しく伝える貴重な資料である。

 生地ブールジュの高校からパリのアンリ四世校へ転校し、ソルボンヌ大学に入学、ラテン語やギリシャ哲学を学んだ。またヴァイオリンを得意とし、パリのスコラ・カントルムで音楽の専門教育を(おそらく)聴講した。第一次世界大戦では1916年、独仏激戦区として知られるヴェルダン付近のドゥオモン砦で右手三分の一を爆撃で失った。

 1919年、上海に到着。通常の公務に加えて「勤工倹学」運動をサポートする業務にも携わる。勤工倹学とは中国の青年がフランスに赴き、働きながら学ぶ運動である。中華民国政府の要人で留仏経験のある呉稚輝、李石曾、蔡元培らがフランスの政府と文化界の支援も得てこの運動を推し進めた。後に共産党の重鎮となる陳毅、周恩来、鄧小平などもこのフランス勤労留学に参加している。

 グロボワの肩書きは年々増えていった。官立学校(1927年にCollège municipal français に昇格)校長のほか、アリアンス・フランセーズ (Alliance française) の中国代表 (Délégué) も長年兼務した。1933年1月よりフランス租界の教育総督(Inspecteur de l’enseignement)になり、同年末に「中法聯誼会」を創設させ、副会長、会長、理事などを歴任した。その傍ら仏語ラジオ局(FFZ)の音楽ディレクター、仏語新聞の理事も兼務した。公職の他に各種芸術団体の委員を務め、亡命ロシア人の「アートクラブ(音楽)」の唯一のフランス人メンバーでもあった。

 彼の300を超える評論には大きな特徴があり、一切の時事的な前置きを置かないこと、読者に作品の歴史的背景や専門的解釈を伝えること、今日的な作品の意義にも言及すること、演奏については公平に厳密に辛辣に、という方針を貫いていた。彼の音楽評論ほど長文で詳細なレビューは他紙になく、これまで実情がわかりにくかった上海楽壇の状況が判明したのはグロボワのおかげとも言える(井口 2019)。例えば、工部局オーケストラ(1879年創設)やディギレフのバレエリュスの後継団体を名乗る「上海バレエ・リュス」(1934年結成)がいったいどのくらいの実力の楽団、ダンスカンパニーであったのか、これは公的記録ではなく、グロボワの批評によってしか分かり得ないことである。1929年から日本敗戦まで長期間に及ぶ音楽評論であるのに、そのスタイルは不変で、見出しといい署名といい、長さといい戦争末期になっても、批評欄は「聖域」のように守られていた。

 1941年12月8日の太平洋戦争開戦以降、共同租界が日本の支配下に置かれ、フランス租界はヴィシー政権との関係ゆえ占領はされていなかったものの、日本軍の影響が増した。英字新聞が発行停止になっても仏語新聞は存続が許されていた。これはヴィシー政権ゆえの軍部の容認があったためである。

 戦時の上海には日本軍部の宣伝工作のために日本内地から音楽家を含む文化人が大挙して入れかわり立ちかわりやってきた。山田耕筰と朝比奈隆も太平洋戦争開戦記念の演奏会のために上海に招聘され指揮をした。グロボワは実に公平な眼と耳で彼らの作品、指揮を評論した。

 グロボワは戦後も中国に残り、1946年からフランス大使館の文化参事官 (Chargé de mission culturelle) となり、1951年上海を離れてからは短期間ユネスコに勤務し,朝鮮半島も訪問した。

 1953年、京都の日仏学館館長に着任、56年本国に帰国し、『徒然草』、『方丈記』の翻訳や春画についての書籍を刊行。1972年1月、サン・タマンで死去。

井口淳子

2019『亡命者たちの上海楽壇 – 租界の音楽とバレエ』東京:音楽之友社。

趙怡

2019 「上海から京都へ――「高博愛」(Charles Grosbois)の戦後」、高綱博文ほか編『上海の戦後 人びとの模索・越境・記憶』勉誠出版。

2021 「上海フランス租界と関西日仏学館――第七代館長グロボワ(Charles Grosbois)を中心に」、京都大学人文科学研究所『人文学報』第117号。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/264288

2021「従上海到京都――高博愛与中・法・日文化交流」、蒋傑主編『上海法租界史研究』第4輯、上海社会科学院出版社。

https://mp.weixin.qq.com/s/c0HpxUrE1rbzbWXew1NEYQ

https://mp.weixin.qq.com/s/CGS4KF5tVmrPIA2Lb6QiqQ

https://mp.weixin.qq.com/s/mMapPAl7SSc_1tKq5V9URg

Charles Grosbois, 

1964 Shunga, images du printemps, essai sur les représentations érotiques dans l'art japonais, Genève, Paris, Munich: Nagel.

Urabe Kenkô, 

1968 Les heures oisives (Tsurezure-gusa) . Suivi de Notes de ma cabane de moine (Hôjô-ki), traduction et commentaires de Charles Grosbois, Tomiko Yoshida et R.P. Sauveur Candau, Paris: Gallimard.

井口淳子

 

©︎ JSPS科研基盤B上海フランス租界(1849-1943)の文教活動に関する多言語で領域横断的な研究(24K00102)

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